時代は超えられない!

ある随筆家を続けている。とにかく彼は著名な人物と会っている。その中にこんなものがあった。

「暖炉の火って、いいなあ」
と〈彼〉が言った。
「いいですね」
と私も言った。

ー中略ー

「昔、ロバート・ミッチャムの家に行ったことがあるんですよ。彼が日本で「THE Yakuza」を撮り終わった直後のことでしたけどね。ベアレーの彼の家に招ばれて訪ねると、誰もいない部屋に通されたのです。その家というのが洒落ていましてね、ヒヤッとするほど冷房をきかして、それでいて暖炉に火をつけてあるんですね」
「外は暑いわけですね」
「ええ、陽はカンカンに照っている。それで本人がどうしているかといえば、自分の家の庭のプールサイドで体を焼いているんですね。ただ客に暖炉の火を見せるためだけにだけ部屋に冷房をきかしている。それも一部屋だけじゃなくて、三部屋も暖炉に火が入っているんです。参りましたね、ぼくは。贅沢っていうのはこういうことなんだと思いましたね」
「心憎いですね」・・・
ー中略ー
「ほんとに贅沢な話ですね。でも、聞いていて少しも不愉快じゃない。おぬしやるな、って言う感じでね。取り巻きを連れて、銀座の高級クラブを豪遊してまわるというのとは、まったくちがう贅沢ですからね」
「そう、気持ちがよかった」
と語るのはあの高倉健と沢木耕太郎。

時代という枠からは例え天下の名優であれエッセイストであれ、抜け出ることは出来ない事を表している。
かの、日中戦争から太平洋戦争の時代、学校でも習って誰でも知る知識人、小説家、戦時は積極的に戦争を支持し、戦後になって「民主主義の旗手」とされた少年児童文化協会の小川未明を始め、武者小路実篤、石川達三、菊池寛、佐藤春夫、吉川英治、林芙美子、横山利一等々あげればその時代に既に活躍していた人達の殆どが戦争を支持するメッセージを書いている。例えそれが「書かされていた」ものであっても、敗戦後彼らはそのことをどう書いたのか???口を拭って何も触れていない。だから、戦後でも教科書に堂々と載っているのだ。では沢木耕太郎氏はどうだろう???
彼のエッセイは流石に面白い、面白いから読んだ!これからも読むだろうと思う。けれどそれは「こう言う考えの人が現代では、もてはやされるのか!そうか!」という認識をする為である。

人とはそうそう変われるものではないのだ。

ひろ