過ぎてしまった日の事ではなくて・・・五山送り火の日に寄せて ・・・・

 

現在の日本では「八月一五日」 : 終戦記念日と記憶し、又これを機会にTVなどでも多少は特番を組む。                       しかし、よくよく考えてみれば「終戦記念日」とは決して戦争が終わった日ではないと判る。                                  そもそも、その日、玉音放送としてラジオからはじめて流れる天皇陛下のあの有名な「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・・」声で敗戦を知った日本人はどれだけいただろう? そして今日この玉音放送の全文を知る人はどれだけいるだろう?ここには当時の日本人と天皇の関係がよくわかる文言が随所にみられる。                      今では「国民」と呼ばれるのが「臣民」、天皇自身の呼称「私」が「朕」。そしてよく聞いてみると「先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。」 と言っている。しかし、ならば満州も遠くはインドも含めたアジアに対し日本が武力をもって侵攻した地の人たちは全てこれを喜んで迎え入れたか?もし、そうならばソ連から追い詰められ満州から逃げる日本人が遭遇した事実」はどう解釈するのか?

2017年8月15日「終戦記念の日」とされる日に心から私たちは「戦争とは何か!」を真剣に考えなければいけない。                                 「北朝鮮が弾道弾ミサイルをグァム島周辺に向け発射する準備がある!」といったアメリカに対する威嚇を日本人はどう思うのか?これは「アメリカに向けた威嚇」なのか?だとして・・・ではトランプ大統領が「やれ!」のひと言で北朝鮮への攻撃が或いは反撃が始まったとしたら、北朝鮮の標的の中に日本は入らないか?当然「否」である。 日本にはアメリカの基地がある。即ち日本は北朝鮮に一番近い標的であって無関係ではないのである。

日本が在ってしかるべき国として存続し続けようと思うならば、嘗て、日本が占領し差別した主に韓国、北朝鮮、中国などの国々と友好関係を築く努力しか道はないのである。その時、我が国は一切の軍備を保有しないという「憲法」堅持しているべきなのである。それでも侵攻してきたら!!                            「 その時は諦めましょう。」 がわたしの気持ちです。

であるからこそ、日本はどの様な国からも「敵」と呼ばれる様な言動は慎むべきなのです。「武器」を持たない!売らない!という国の基盤は堅く守らなければいけません。

・・・・・・・そして「もし、この無防備な国を襲う事があったら、その時は、かって貴方たちの祖先が持った憎しみを我々の国で生き残った者が持つようになる。」  だからこんな応酬は止めましょう!!と訴えるべきなのです。

 

絶対に戦争はしない!為には何を思い!考え!行動するのか! 今!日本人ひとりひとりに問われています。「恥ずかしい」の精神を持った国のあるべき姿を私たちはしっかり考えなければなりません。戦後誰も口にしなかった戦争の情けない話を生き残った人たちが語り始めています。「恥ずかしいこと」だからというのがその理由で「今頃」なのです。今だからこそ機会を作って必ず観て!聞いて!下さることを祈って止みません。

   ・ 闇に葬られる終戦後 ・・・・・・・・

  ・ さとうきび畑

 ・ 憲法  第2章 戦争の放棄 第9条(戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認)

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

Hiro